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ディケーター (ミサイル駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
ディケーター (ミサイル駆逐艦)[かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ミサイル : [みさいる]
 【名詞】 1. missile 2. (n) missile
ミサイル駆逐艦 : [みさいるくちくかん]
 (n) (guided) missile destroyer
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

ディケーター (ミサイル駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
ディケーター (ミサイル駆逐艦)[かん]

ディケーター (, DDG-73) は、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の23番艦。艦名はスティーヴン・ディケーター代将に因む。その名を持つ艦としては5隻目。ミサイル防衛の対応艦であり、弾道ミサイルの迎撃能力を向上させたイージスBMD3.6を搭載している。
==艦歴==

ディケーターは1996年1月11日にメイン州バスバス鉄工所で起工する。1996年11月9日にジョウン・E・シャリカシュヴィリ夫人(ジョン・シャリカシュヴィリ統合参謀本部議長の妻)によって命名、進水し、1998年6月19日にマイク・ノールマン艦長の指揮下就役した。
整調航海および西海岸への移動の間にディケーターはプエルトリコサンファンメキシコプエルト・バジャルタを訪れ、1998年6月19日にメイン州バスで就役する。記念式典はオレゴン州ポートランドのトム・マッコール・ウォーターフロントパークで8月29日に行われた。母港のサンディエゴには9月4日に到着した。同年の残りは音響試験及び戦闘システムの評価で過ごす。その後三ヶ月間を整調試験後の有効性確認に費やした。
1999年4月に北西部への短い航海を行い、ワシントン州ディケーター島ブリティッシュコロンビア州バンクーバーを訪れ、5月初めにサンディエゴに帰港する。8月に再びワシントン州を訪れた後、ディケーターは機関室で火災を起こした自動車運搬船、MVガーデニア・エースにダメージ・コントロールチームを派遣した。
ミサイル試験及び最終公試の終了後、ディケーターは2000年1月7日に最初の西太平洋配備に就く。トマホーク・ミサイル搭載のため真珠湾に寄港した後、1月後半に韓国海軍との合同演習、シャーレム 2000 に参加するため黄海に向かう。30日に韓国鎮海を訪れた後、続く二週間は横須賀長崎に停泊した。その後台湾海峡を通過して南へ向かい、香港で三日間停泊、続いてフィリピン海軍と南シナ海での合同演習を行った。
3月前半にディケーターはマレーシアグアムを訪れ、その後赤道を横切り4月にフィジーを訪れる。アメリカ領サモアへの訪問後にオーストラリアの多数の港を訪れ、母港のサンディエゴには6月8日に帰港した。
航海後の調整、修理の後ディケーターはサンディエゴ海域での活動を行う。2001年2月に西海岸沖で様々な戦闘グループと共にミサイル演習を行う。9月11日のアメリカ同時多発テロ事件後、ディケーターは南部カリフォルニア水域でオペレーション・ノーブル・イーグルに参加する。サンディエゴには9月23日に帰港し、7週間の修理調整後、11月12日にジョン・C・ステニス戦闘グループに合流する。
ディケーターは西に向かって出航し、香港とシンガポールで停泊した後12月11日にマラッカ海峡を通過した。インド洋へ向けて航海を続け、戦闘グループはオペレーション・エンデューリング・フリーダムにアフガニスタンで参加、2001年12月17日から2002年4月16日までの間ディケーターはペリリュー揚陸即応グループの護衛を行う。この間に艦のセキュリティ・チームは三隻の民間船に派遣された。またこの作戦期間中にディケーターはバーレーンマナーマに三度の短期訪問を行った。5月2日に中東を離れ帰途に就く。途中タイプーケットインドネシアバリ島東ティモールディリグアムアプラ、真珠湾に寄港し、サンディエゴには2002年6月8日に到着した。同年の残りはサンディエゴ水域での調整、訓練に費やした。
ディケーターは2003年8月にペルシャ湾への二度目の配備に出航する。途中真珠湾とシンガポールに寄港した。11月にはセーシェルへの四日間の港訪問を行う。2003年12月15日にディケーターは40フィートのダウ船を拿捕し、アルカーイダの密輸活動に関連したおよそ2トンの麻薬を発見した。末端価格で800~1,000万ドルの価値があったとされる。
2007年6月22日、太平洋ミサイル試射場において、駆逐艦としては初めてSM-3ミサイルを使用する対弾道ミサイル迎撃試験を実施し、大気圏外で標的弾道ミサイルの撃破に成功した。
2008年2月には、落下の危険がある偵察衛星USA-193(NROL-21)を破壊する作戦に参加し、SM-3ミサイルの発射を担当した巡洋艦レイク・エリーのバックアップをつとめている。
2013年04月、北朝鮮ミサイル警戒により朝鮮半島沖に配備される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ディケーター (ミサイル駆逐艦)」の詳細全文を読む




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